2015年09月26日

取材の角度

むかしむかし。

少し前からガラケーと呼ばれているタイプの携帯電話で「写メ」と略される写真撮影してメールでも送れるよ機能がおおはやり。それまでカメラを所持したことがなかった人も、家には立派なカメラを持っている人も、やたらいろんな場所で構わず撮影しては誰かに送り、近くにいる人には見せびらかすという日常が始まった。
そして携帯電話機のメーカーは、一部に高画質カメラを埋め込んだ機種を発表、底辺の電話機でも徐々に画質の底上げが行われた。やがてある程度の動画も録れるようになってきた。

そんな頃、総理大臣のぶらさがり取材とか、また不祥事を追求されているような人のコメントをとろうとする人がぞろぞろいるような、よくテレビで見る場面で、そこにいる記者がみんなケータイを手に持っていたら可笑しいな、という空想をした。
当時は、声を録ろうと集まる記者の一回り外で大型のカメラを高く構えているカメラマンという二層の群れがターゲットに迫るのが大体普通だったが、これが、スーツ姿の男女20人が片手にICレコーダー、片手に写メのケータイを高くかざして「ひとことお願いします!」と騒いでいたらずいぶん滑稽な感じじゃないか。もちろんケータイのカメラの性能が十分であれば、実用上そうなって何もおかしくないが、だからこそ、その屁っぴり腰と、屁っぴり腰で取材されている対象の馬鹿にされてる感じがおかしいわねえ、と当時は思った。

しかし、そのうちスマホが普及して、もはや「木札」のようなスマート電話機や、「フリップ」にもなり「プラカード」にもなるようなタブレットを持ち歩いている人が多くなった今、その性能が知れ渡ってきていることも手伝って、本当にぶら下がり記者がそれを手に「ひとこと!」とやっていたとしても、かつて思ったほどには可笑しくなくなってきた、ないしは取材対象が恥ずかしいような感じが薄れてきた感じがある。

いや、むしろ今、二つ折り式のガラケーのカメラを向けている職業記者がいたらそれこそ可笑しいのだが、それは「古い!」からではないのか。
そう考えてみると、単に「二つ折り」を片手に腕を伸ばしている姿勢がおかしい感じがしただけなのでは、とさえ思えてくる。

いや、フィルムカメラの昔だって、仕事で取材対象者を撮影するために持って行くカメラは、いくら性能に間違いがなくともカシオのコンパクトカメラでというわけには行かなかったはずである。これは仕事であり、だからマジなプロ機材で来ましたよ、という姿勢が必要だったから、ケータイを片手のウルトラライト感覚ではけしからん感じがしたことは確かなのである。

事実、現在も「テレビや新聞で使う写真や映像を撮っている」その機材がテレビに映る場面においては、やはりそれなりに高くてでかいデジタル一眼カメラ(4K映像が撮れる一眼レフなども含む)が見られる。
そして、取材者がスマホ一丁で取材に来ていたら、取材対象としては何だか軽く見られてる感じがするだろうことは想像がつく。想像はつくけれど、取材対象が恥ずかしくて怒るようなことはないだろう。

そんな現在になってしまったが、昔想像して面白かった感じのことを、今のモノで置き換えてみるとすれば何だろうか。

やはり自撮り棒かなあ。

インタビューに向かった数名の記者が、自分たちの後頭部と取材対象者を同じ画面に写すための自撮り棒。これならかなり滑稽な感じがする。国会議事堂の廊下みたいなところで、勢いとしては『世界の果てまでイッテQ』みたいなお笑いドキュメンタリーを演じる感じになるのがよい。

同じ意味のことで、ドローンを飛ばしながらの囲み取材、のような考え方だってできるわけだが、ドローンは簡単に墜落してしまって危ないということになっているからよほどの必然性がない限り持ち込めないし、傍から見るとドローン自体が記者と一緒の視野範囲には入り込まなそうなので、滑稽な画にはなりにくい。やはり自撮り棒である。

時代は変わった。
囲んだりぶら下がったりする記者は、自撮り棒にスマホをあれして、前方にマイク、後方にスマホカメラ、という形で取材対象に迫っていただきましょう。それにあたっては、フェンシングの姿勢が参考になると思う。
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posted by 川崎ぶら at 01:05| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

テレビっ子おおあわての巻

FaceBookにはその当日書いたことだが、7月末のある朝、机横のアナログ液晶テレビが突然こわれた。

その、机横のテレビというのは、要するに机に向かっている間中、画面を見ていなくともほとんどの時間帯に電源が入っていて、テレビっ子たる私の耳にテレビ音声を流し続け、習慣病をそのままに保つような環境装置として、以前自宅とは別に借りていた仕事場があった頃からそのように定着したものだが(よく考えてみれば、それ以前の仕事場兼自宅だったアパートでも、机から直接見られる位置に当然のようにテレビはあったので、親の家を出てテレビを買った頃からずっとそうなのだが)、ひとまず現状のものは、1995年シャープ製の、背面にアームを着けて空中仕様にしたりすることも可能らしい13インチ液晶テレビである。製造年的には当然の地上アナログ波専用機であり、デジタル系の入力端子も備えていないが、アナログ入力は2系統あるので、録画機にアナログ出力がある限り地上デジタル時代にもこれで十分である。十分とはいえテレビ本体のチューナーがないと録画機が手一杯に忙しい時に不便なので、オプティキャストがデジアナ変換を流すことをやめてしまった時に、中古でチューナーを買って備えてもある。

ちなみに、このテレビは製造年ごろに買ったものではなく、もっと近年、既にアナログテレビの新品が店頭からなくなってから中古で入手している。その前まで机横で使っていたブラウン管式のテレビデオ(横向き挿入のVHSデッキと一体の9インチテレビ)がまともに映らなくなった時に大急ぎで中古品を探して2000円ポッキリで買ったものなので、元がとれているかどうかでいえば、とっくにとれているような代物だ。今までご苦労であった、といって労ってやるぐらいが丁度いいはずである。

しかし、簡単に新しいテレビを買うことができない貧乏なテレビっ子(ただし中高年)は、テレビがなくなると思うと慌ててしまう。

閑話休題、この時の故障の症状は次の如し。

朝起きて机の前へ行き、デジアナチューナーの電源を入れた後、テレビ本体の薄い天面にある電源を入れると、音声が出なかった。そこで電源スイッチ、チャンネルボタンなどと並んである音量ボタン(シーソー式)の「+」を普段通り押下すると、画面下端に表示されるゲージが0からみるみる最大値まで駆け上る。大音量が鳴りかけたので慌てて「-」を押下すると、今度は0までまっしぐらに下がってしまう。途中で止めようと+-を交互に押せばただ音量が乱高下するばかりで、そのうちに他のボタンまで反応がなくなってしまった。これがもしエレベーターであれば、私は既に死んでいる。

その朝はそのようにテレビ機械がフリーズ状態となった時点で「テレビが死んじゃった」と悲嘆に暮れ、いや日はまさに昇ったところだったのだが、とにかく日暮れまで出かけるべき予定によってテレビを置き去りに外出していた。そして悲嘆に暮れる夕日を見送りながら帰宅、朝死んじゃったテレビがうっかり蘇っていればそれだけでもういい、わけは聞かないからそのままどうぞぼくのためにほんのり点いていておくれ、とハンサムに念じながら朝と同じように電源投入を試みるが、朝一番の症状から何ら改まるところがなかった。

まあ、死んじゃった、などと騒いでみたが、突き詰めれば「音声機能がダメになった」だけなのだから、デジアナチューナー及び録画デッキからそれぞれ出してテレビ背面の端子へ挿しているアナログの音声ピンだけを引っ張って、レコードを聴くためにこれも机横の棚へ突っ込んで使っているコンポのアンプ裏につっこめばいいわけである、アンプの端子はチューナー用があいてるし、デジアナチューナーの方は変換を噛ましてマイク端子挿入でも構わないのだ。

──などとも思うが、それが実はものすごく面倒臭い。なぜ面倒かというと、我が家のコンポのアンプの端子に人間がアクセスしようとすれば、それを妨げているいろんなものを順序良くどけた上で、更に作業スペースをあれしないといけないからである。というわけで、ある種拗ね疲れた子供の気持ちで、画面だけつけた音声無しテレビ、としてしばらく放置することになった。

そのうち3時間ほどが経過して、何だ、テレビ音声流しっぱなしになってないでも全然平気じゃん俺、と思うわけでもなしに、ふと「テレビに挿したヘッドホンを、耳へは装着しないでそこいらに置いた状態で、ゲージ駆け上らせた先の音量最大にしたとすると、果たしてどのくらいの音量になるだろう? 案外我慢できる範囲だったりシチ!」と考えて、イヤホン端子にヘッドホンのプラグをつっこんだ上で音量ボタン+を押下。すると、最大まで一気に駆け上がりバリバリに割れた音が鳴る、はずが、そうならない。恐る恐る上げて行くと普段の既定音量20辺りでスッキリと止められた。ヘッドホンを抜いてみれば、小テレビに装備された小スピーカーから、音声は普通に出ている。

テレビ直った。

3時間の放置で何が変わったのか。実はこの「放置」を開始する直前に、本格的に壊してしまったとしても構わないと男らしく腹を決めた上で、樹脂製のシーソーボタンを剥がしてみた。剥がしてみると、その中にあると想定された「バネ内蔵のスイッチ」などはなかった。ボタンの下にあったのは、他のボタンとも繋がっているらしい、のっぺらぼうのゴムの覆いだった。ゴムの上から触れてみてもボタンらしい出っ張りなどはない。ドライバーでゴム上からぐりぐりしても一向何も起きない。つまり、物理スイッチ装置の故障というのではなく、もっとブラックボックスな電気回路問題の可能性が高い。

それらのことを素人なりに考え合わせると、どうやら原因は「結露」とか、そういうことによる微細なショートだったのではなかったろうか。つまり、この日の朝のような濃厚な湿度を当捜査本部は容疑者と断定。帰宅後3時間つけておいて直ったのは、いかにも素人のイメージ貧困具合が丸出しで恐縮だが、その結露水分が回路発熱を得て蒸発したのではないか。

その仮説が正解かどうかは素人丸出しにわからないままだが、1995年シャープ製の液晶小さいテレビは蘇って、暫時これまで通り使えることとなった。しかし、近くまた同様の湿度故障が起きる可能性は高い、なぜなら今は夏であり、今年は台風が団塊な当たり年、と考えると、もう予めただ哀しい。テレビっ子はテレビがないと思うとさっぱり調子が上がらない。ので、ひとまず考えない、と方針を定めた。

方針を決定してからはすっかりそのような悲しい事件のことは忘れて、日々、その他の悲しいことに心を荒ませたりしていたが、あの日の予想通り、二週間後には再び「再現性」が発揮され、音量シーソーボタン押下で乱高下症状が出来、あの朝のように脂汗を流しかけたが無事「放置」の心を思い出して、事無きを得た。その後にも、もう一回、同様に事無きを得た。

事無きを得たとはまさにこういうことを言うのであろうけれど、これ「ことなきをえた」と表意文字抜きに観賞すると、何となく「事、泣き終えた」ような感じもあったりして、全然扱うところが違うのに妙にフィットする。テレビのニュースでよく「心肺停止」というと「心配停止」に、「血痕」が「結婚」に聞こえることなどに比べれば、かなりフィットしていると見るべきである。

posted by 川崎ぶら at 01:13| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

夜中に嫌なベルが鳴る そのベルを止める

夜中にベルが鳴る──いや、実際の物理現象として実在のベルが鳴るわけではない。

就寝中の夜中に脚がつると、その痛みは、軋みは、非常ベルの激しさをもって睡眠を破壊する。そして、人生においてしばしば起きる「こむらがえり」、すなわちふくらはぎ単独のつりであれば、寝ながらでもアキレス腱をいくらか伸ばせる体勢に移れさえすれば容易に痛みを退治することもできるが、大腿部の内転筋を中心にその周囲にある筋肉が連鎖するようにして「ツるぞ、ツりそうなとこまできてるぞ、既に痛いぞ」という段階になって目覚めた場合には、どうすることもできない。ただベルが鳴り続けるような痛みに耐えながら、あらゆる関節のあらゆる角度の組み合わせになら動けるのかを試し続け、その途中で「ここから肉離れにまで悪化してしまったら」という恐怖とも戦わなければならない。

こむらがえり、という名称は「ふくらはぎの筋肉=こむら」がひっくり返った感じを名詞化した言葉なので、まあ上腕や太腿がつった時のこととは一応分けて、ふくらはぎ限定の用語と考えるのが相場のようだ。次に、痙攣という言い方。これも、肉体の一部が不随意に震えてしまう症状について主に用いる名称で、そのままの意味の振動をともなうこむらがえりなどのこともついでに言うようにしている、みたいな感じなので、厳密には筋肉の「ツり」と呼べそうな症状に限定した名称が、どうにも見当たらない(調べてみると医学用語にはそれを指す症状名はあるようだが、詳しい来歴のわからない、知らない言い方なので、こういう文では使いにくい、ので忘れた)。それから「攣る」と書くツるも散見するが、まー常用外の字でもあるし、読めない人には読めないし、「ひきつる」と読ませる方が本来ではないかという気がする。

というわけで、ここでは、表現しようとすることの妥当性は高いが平仮名二文字で地の文に埋没しやすい「つる」「つり」を、その埋没を避けるために「ツる」という表記で書くことにする。

さて、普段わりに運動不足をしている中年初老の身で、たとえば朝から夕方までそこそこ重いものを両手で放り投げ続ける大汗作業、あるいは5メートルダッシュ50本を昼休みはさんで40セット合計2000本に挑戦、などの「頑張れば誰でもやり遂げられる範囲の肉体酷使」でもやってしまうと、深夜のツり、しかも大腿部、という経験をすることになる。4年ほど前に私はこれを初めて経験し、悶絶した。体を動かすことが難しく、悶絶状態との意識がある、ということは、つまり実は完全な悶絶そのものではないわけだが、ともかくえらいことになった、どうしよう、どうすればいいか事前に調べておくほど予見できた事態でもなかった、ああ、ただただ腿のあちこちが痛い。で、どうやってその4年前の晩を乗り切ったのかは、もう今となっては忘れていて、それでも翌日「夜中に太腿が連鎖的につったらどうすべきか」について調べようとはした。その際、キーワードをどう設定したのかは忘れているものの、結果として、明解な解決方法はネット検索では出て来ないとわかった、とは記憶している。

さて。その就寝時太腿ツり軍団が、この夏再びやってきた。4年ぶり2度目の出場である。悶絶。そして前の時と同じく今回も、何の準備も下調べも舌平目も食べておかなかったことを後悔しながら、「ツるツるツるツるツるツるの腿」と痛み軋みで訴える腿筋肉グループ各位の様子を見、スキを覗いながら、痛みを外したい部位を伸ばしてやれる体勢を布団の上で大模索。しかし、膝を曲げようとすれば腿裏のハムストリングが収縮して「ツるツる」と言い出し、慌てて膝を下ろして伸ばせば痛みの本場である内転筋群及び大腿四頭筋などが非常ベルを鳴らす。開いても閉じても右へ曲げても左へ曲げても、4の字固めへの動作へ向かうも、全てがどこかの筋肉の禁忌に触れてしまうことが続々と確認され、いつまでもどこまでも痛い。「痛くない痛くない、痛いのはランナーを出した相手ピッチャーの方だ」などと自分に嘘をついて眠ってしまうこともできない。

結果的に、この腿ツり4年ぶり状態をどのように脱したのか、その時編み出した秘術については後で書く。その前に、世間知の検証をしておかなければ、秘術を秘術として記すことができないからだ。

さて、その4年ぶり2回目が襲来した夜が明けた翌朝、私は無事目覚めて用心深く立ち上がり、4年前にそうしたように、腿ツりが生じた場面からそれを緩和する方法についての記述を探す検索を開始した。

検索キーは「脚がつった 対処法」のようにして、総合的なツり対策の記述の一項目に腿ツりを見つけようと考えたが、結果今回も、太腿にある複数筋肉の複合的な「どちらへ伸ばしても反対側がツる」ことがあるという事例についてさえ記述が見当たらず、ふくらはぎの「こむらがえり」を代表例として、誰でも知っているはずのこむらの伸ばし方が図解されているだけのページに行き当たったりする。そして筋肉の酷使以外にもある原因(ミネラル分の不足、冷えや内蔵疾患の影響など)についての言及などから予防法が書かれているが、こちらが知りたいのは、実際に複雑な腿ツりが起きてしまった真夜中にどうすればいいか、なので、予防法はとりあえずどうでもいい。他の病気かも知れません、と書かれているところも、ざっと読んだ範囲では私のケースの原因には関係なさそうであり、ともかく今知りたいのはそこではないのだと検索ページに戻す。

そこで次に「太腿の痙攣 筋肉 夜中につる 対処法」のような感じに、具体的に絞り込んだキーで検索をしてみると、腿の中のこういうラインがツれていると自分が感じた筋肉それぞれの名称がわかるような図解があり、それぞれの筋肉がツった場合の伸ばす方向や方法が図示されているページにたどりつくことはできた。これらは4年前には見ていない通常の情報である。しかし、実はそれぞれ、先に書いたような布団の上でもがきながらの実験で既に試している方向を分けて書いてあるばかりであり、結果としてどれも役に立たないことを確認している。この、こちらを立てればあちらが立たず状態の痛みのパズルを解く、相互に悪影響を与えないたった一つの奇跡の組み合わせ、または重症度分別による最適バランスの屈伸を考えた名医の方はいらっしゃいませんか。

検索した中では、奇跡の屈伸角度作戦ではなく、実際にツった時にクスリで症状を緩和できるという記述は目新しかった。コムレケアというのは何となく名前を知っていたが(名称とともにこむら専用のようなパッケージイラストである)、その主力成分であるところの芍薬甘草湯という漢方薬は、起きてしまったツりに効くことが古くから知られていたらしい。しかし、そういうクスリがあると仮に知っていたとして、もしものために買ってもあったとしても、しかしそれを服用するためには最低限、起き上がってクスリを手にし、水を手にして服用しなければならない。起き上がることすらできないから困っているんじゃないですかあ、と最早ダダをこねる患者一夜明けの私だった。

ところで、寝ている時ではなく、通常覚醒時に特定動作の影響で腿筋肉複数にこむらまでが連携してツりかけが起きたことは、4年も遡ることなく2、3回経験がある。この場合では、周囲がよく見え、つかまる場所もあり、寝ている時(体重の過半がかかった背中が床面に固定された状態)よりは動かせる範囲が広いため、「休め」の姿勢をホームポジションとして、各筋肉を伸ばす方向へ浅く脚を動かしては戻す、または別な筋肉のツりに対応した方向へ切り替える、徐々に動かす角度を強めにしていく、という、阿呆が下手踊りをしているようなリハビリ動作でツりの発作をなだめることができることが体験的にわかっていた。そして、就寝状態からの腿ツリで「死ぬ死ぬ」と足掻いていた私は、実は起きている時の阿呆ダンス式の順序屈伸が何とか寝ながらできないかを主に試していたことにもなるわけだが、どうにもならないとわかった時点で、とにかく比較的痛みやツりから距離をとった安定姿勢をとり再び全てを忘れて眠ってしまえないか、という方向を模索することにした。

新たな方向性から思いついたのは、尻枕の姿勢である。尻を少し高くすることを想像してみれば、腰から膝までの体の前側を軽く伸ばした状態を保つことができ、そのことで内転筋及び大腿四頭筋が軽く伸ばした形がとれる。仰向けに寝たままの姿勢から、布団の上に寝汗受けとして敷いていたタオルケットを手繰り寄せ、これを後ろ手で折って巨大春巻きの形を作り、腿の筋肉になるべく力を入れないようにしながら尻の下へ挿し込む。すると、大腿四頭筋の反対側に位置するハムストリングもわずかに伸びる感触がある。これだ、これなら再び眠れる、と思うか思わないかぐらいのところで、私は無事眠りへ落ちた。

尻枕は、しばしば美容ストレッチのひとつとして紹介されている、ということを近年知ったが、当方としてはこれ「寝ている間に背筋ストレッチ」のようなオリジナル技が元になっているので、意識としては美容用ではない。寝るときに腰の、布団への圧力が少ない、その分背骨や背筋に負担がかかっていそうな空間を、春巻き状に畳んだタオルケットで埋める、足の裏に置き換えると土踏まずアーチを青竹踏みに処する、あの感じを背中に適用したような考え方である。

私は机作業者としては腰痛や肩こりの経験が少ない方だが、それでも長時間の机上作業で緩く屈み続けていると、腰痛への筋道が見えてくる感じがある。この道筋を寝ている間に歩き出してしまわないように、と思って、タオルやタオルケットを腰に入れて寝る、ということを何度か試してその効果を感じてきた(そのまま眠っていると適当なところで春巻き枕は無意識に外している。たまに朝までこの軽いバックブリーカーを保って眠ると、そのせいで起き抜けに少し体が強張った感じになることもある。しかしどちらの場合も、腰痛からの距離がとれた感じがあり、成功していると考えられる)。また、その中で、腰のアーチから尻へ、背中春巻きから尻枕へと位置をずらしてみると、これはこれで別の全身ストレッチ感があることもわかっていた。しかし、就寝時の太腿の複合ツりの際にこれが役立つとわかったことは、今年の収穫ではあった。

ところで、今回の「秘儀」という位置づけとなったこの尻枕、または腰春巻きであるが、当然ながら医者が検討して太鼓判を押した方法ではない。私の身体条件とは違う、あるいは本格派の腰痛をお持ちの方にとっては害がある方法の可能性もあるので、マネをしてみようと思った方はご自身の身体とご相談の上で徐々に、という程度からでお願いしたい。

posted by 川崎ぶら at 15:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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